「伝統木構造の会 会報第十四号より抜粋」
富山県八尾で伝統的な木造建築を継承する島崎英雄棟梁に話を伺うために職藝学院に足を運んだ。
学生の中には、大学院を出て、一級建築士の資格を持つ者もいる。
自分が修行したように教えているという。
学生はひたすら刃を研ぐ、棟梁に刃を見せる、そしてまた研ぐ。
この学校の特徴的なところは、学生が実習として実際に建物を建ててしまうところにも表れる。
「伝統構法を残すには、下からの人材育成と同時に、上からの変革はどうしても必要と考えている。」
木造に関しては、「伝統構法で建てた私らの建物は別扱いにしてほしい」と考えている。
そのためには、伝統構法が分かる人材の育成が必要なのである。
マニュアルにないことをされると検査官はどうしたらよいかわからない。
だから、金物に頼ることになる。
そして金物が付いているかどうかだけで、ことの善し悪しを判断しようということになってしまう。
だいたい、組みあがってから検査して何がわかるというのか?
棟梁は学校で若い大工を育てる一方、行政にたいしては、次のような提言をしている。
伝統構法を遺すために行政に取り組んでいただいきたいこと
・ 職人の高齢化が進み、伝統建築に関わる技術の継承、向上が行われていない現状にある。
・ 今の検査方法(建てた後)では、伝統構法の検査ができない。
以上の点から、行政には次のようなことに取り組んでいただきたく、提案します。
・ 行政で建築に携わる人や設計する人が、木組みがわかり、構造図・伏図が書けるようになる(造れなくてもよい)よう勉強してもらいたい。
・ 最終的には、工務店の作業所で墨付けが間違っていないか、性格であるかを検査できる人を養成する。
・ 木を見て墨付けができる人を養成してもらいたい。
行政での伝統木造の専門家は、職藝学院で要請できる。(一年コースまたは二年コース)
吉田桂介さんとの出会い
島崎棟梁は、三十歳のころ八尾の桂樹舎「民族工芸展」の仕事で施主である
手漉き和紙職人の吉田桂介さんと出会うことになる。
吉田さんは、民芸運動で著名な柳宗悦、棟方志功、濱田庄司、芹沢銈介などと交流をもった地元八尾の名士である。
吉田さんには、「用の美」と言うことを教えられたという。
腕に覚えのある棟梁は腕に任せていろいろやりたくなる。
吉田さんは「やりすぎるな」と言う。
はじめはなにを言われているか分からず、対立したという。
「吉田さんに出会わなかったら、今の自分はない。
新しい構法のほうへ行ってしまったかもしれないからね。うまく導いてくれたと思う」し
「今の自分を形づくっているのは、吉田さんに教わったことが八割、
親方に教わった技術は申し訳ないが二割、すっかり吉田さんが自分の中に入ってしまった」
吉田さんは、若い頃、柳宗悦にこう言われたという。
「今、世の中には色の白い、弱い、安い紙がたくさんあるけれど、
君がやるときは伝統をしっかり守った昔のような紙をやりなさい。そうすれば間違いない」。
紙を建物に置き換えれば、吉田さんが島崎棟梁にしてもらいたかったことそのものではないだろうか。
島崎棟梁はこうも言う。
「入母屋御殿のような建物は、施主は財力を、大工は技術を外に顕示する建物で、好きではない。
自分は親方から受け継いだ技を使い、用に徹し、昔からのやり方で作るだけだ」
棟梁の建てた建物を拝見すると、欅を使ったところでも、べんがらに柿渋のうえ拭き漆仕上げで、
木目が目立たず、ことさら欅でございますといったところがない。
色の付け方は個人の趣味だというが、
欅という材が目立つのが恥ずかしいかのように、静かに佇んでいるようにみえる。
用意された材料で建てる
「昔は、家を建てようという人は、たいてい山を持っていてその山の木を使って家をつくった。
その中には、曲がった木もあれば、雑木もあった。
そんな木に対して選り好みをしていては、家は建たなかった。
用意された材料で立てる、それが当たり前だった」
「曲がった木は、梁にうまく使えば強いというのはその通りだが、
それよりも、目の前にある材をどうやって使おうか?といった切実な思いの方が先だった」。
これだけ山に囲まれた日本とはいえ木材は貴重品であった。
今はありがたいことに、古民家を解体して欲しいという話が随分あるので、
曲がった材も置き場に困るほどあるから使っている。
しかし、わざわざ山から曲がった材を探して切り出してまでは使わない。
そもそも、墨付けの基本からといえば、曲がった木も、真っ直ぐな木も何ら変わるところがないんだよ」
「釘一本使わない伝統の技などという文句もあるが、
小僧時代は古い材料から釘を抜くのが初めにやらされる大切な仕事で、
それをたたいて真っ直ぐにして使った。
鉄は貴重品であった。当時、現在のような、金物があったとしても高くて使えなかっただろう」
(まあ、金物ってやつはどうも性に合わないけどね)
枠内に使う一番大きな梁を牛梁と呼ぶ。
昔はその上で寝られるくらい大きなものもあった。
この梁にしても欅でもいいし、堅い木なら雑木でもよいという。
材種は適材適所、銘木主義とは正反対の態度である。
朝鮮張の床も短い材を有効に使うためにしているのであって意匠のためのものではない。
島崎棟梁の自宅の朝鮮張りの床材も森林組合がチップにするというので、
ただ同然でもらい受けた胡桃の木である。
結果として美しいのだ。完成したものは同じように見えても、出発点が違うのだろう。
「用」に徹することで美を生みだす。
また木材がそれを可能にする素材でもあるのだろう。
棟梁の口から「伝統、文化」といった言葉を聞くことはなかった。
伝統的といわれるものいが少なくなって来ている故に、
伝統という言葉にはどこか日常生活から離れた響きがあるが、
棟梁は毎日仕事をすることが、着物を着るのが当たり前の婦人のように、
伝統と結びついている。棟梁が守りたいのは、親方から伝えられた技であり、さらに思いを馳せれば、
その親方にも親方がいて、またその親方にも・・・
「綿々と続いてきた千年以上にわたる技の伝承を自分たちの代でなくしては申し訳ない。なくなっていいはずがない」。
己の役割を自覚し、淡々と仕事に取り組む島崎棟梁。
ことさら特別な事をしているつもりはないにもかかわらず、特別な建物を造っていることを感銘を覚えた。